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一瞬の光

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閉じた瞳、細くくっきりとした眉、小さな口許、まっすぐな鼻梁、そして薄い皮膚。
この人は水枕も知らなかった。
私の半分ほどの人生を
私の何倍もの苦しみを背負って
生きてきた。
それでも、この人はまだ
他人を思いやる気持ちを、
たぶん必死に、かろうじて保っている
 



不思議なことがある
そこには尾を引きずるような神秘性もなく
論理と共に説明されてはいるが、リアリティは感じられない
一体何に魅力を感じ、ここまでひかれてしまうのかわからない
とにかく驚くような引力をもっていて、瞬く間に読了
まさに、一瞬の光のように、佇んでいる
この本で、白石一文を読むのは二冊目
「僕のなかの壊れていない部分」
これも、思い返せば
いま何が心に残っているわけでもないが、
訳のわからない引力をもっていた
事細かに表現される、背景とは裏腹に
とても承服し難い現実、感情移入し難い、語り手
何処か幼稚とも思える
この違和感をどう言えばいいのかわからない
あえて未完成の言葉を並べるなら、
まるで夢の中で現実をみているような感覚
この世界は、そういう世界だった
この世界を彩る人物たちは
皆、常人離れした思考を存分に発揮していて
彼らの決断に、追いつくのは用意ではない
読み手の持つ感覚を誤魔化し、妥協し、上塗りし
ようやく彼らと同じ景色をみれるよう、整えて
ほんの欠片ほど、彼らの背負っていたモノに辿り付ける
一体何が、彼らをそうさせるというのか
ギリギリのところで保たれているリアリティが、
読み手に、考える力を、僅かに与えている
橋田
競争社会の頂点を走っていると言っても過言ではない
彼の言葉で語られる、全容は、理屈でしか理解できない
僕らが、彼になることは許されていないように思う
凡そ現実とは思えない、彼の影に
どうにか現実の影を認め
それを自身の世界に、生活に登場させてみたとき
哀れみが零れる
彼は、一瞬、一瞬を、全力で生きているだけだと言った
自分を愛せない者に人を愛することができないとも
香折へのすべてを、交換の倫理の上で踊らせるつもりもなかった
彼が一体何故
どうしたら、彼でいられるのか
おそらくそこには語りえない、魅力が、香折にはあったのだろう
それもおそらく、彼にしかたどり着けぬ魅力だったのだろう
その明快な頭脳で、彼女の限界までがみえていたのなら
こうはならなかっただろう
彼女の深遠を直覚し、その一端に触れたとき
心の何処かで、彼は知ったのだ
愛なくして、彼女を支えることができるのは自分だけだと
自身の人間的な、凡そ成功に必要なモノは網羅しているであろう才能
そのすべてを費やして
洞察し、推測し、計算し、彼女の快復を見守れるのは自分だけだと
少なくとも、自分になら愛を与えずともできる
そう考えたのだろう
またそれは、これからの彼女への献身に、愛を用いない誓いでもあっただろう
常に、橋田からみた香折でしかない
しかし、その裏側にあった、彼女の思い
彼女が、絶望の中で、どうにか繋ぎとめた、生命の喜びは
すべて彼の為でありたかったのだろう
橋田からしてみれば、いちばん最初の地点での分かれていた道だった
あれこれと誠実な言葉を並び立てる
橋田を前にしながらも
この結末を予感しながらも
一体どれほど、彼女の選んだ、答えの重さをわかってあげられるだろう
何処かで一度は聞いたことのあるような結論で、答えで、終幕だ
幼稚だと結論付けるのもいいだろう
あいもかわらず泣くのもまた、いいだろう
しかし少し、勇気を出して
彼女の気持ちに、この心を投影してみると
どうなるだろう
それは水の中に顔をうずめるように、一体息がどれだけもつのか競うような
そういう世界だった
とてもその中で生き続けることは不可能だと、瞬時に悟れる
目に光を宿すことは不可能だと
物理的に不可能な事柄のように、理屈では解決できない事柄に覆われている
大切なモノ以外はすべて捧げ
壊せるところはすべて壊して、どうにか心を保っている
忘れられる一瞬を糧に、自分を騙しだまし、生きている
彼女はそういう、正常な心では棲めない世界に生きていた
そんな彼女が、願いに、希望に縋らずに、選択した答えは、重い
橋田の最期の決断も、当然
それがわかったからこそだったに違いない
最期には、手にした幸福
愛してくれた女性を含め
多くのものを、捨てた男だったが、
それを彼女への感傷だと思うのは誤りである
償いや、責任や、後悔と思うのも、誤りである
そうさせるだけの重さを、彼女の中にみたのだとみるべきなのだ
 
「どんな人間的感情も、計算からは決して生まれない」
恭子がそう言っていたからなのだ
もはやこれ以上は詰まるまいというところにきて、ようやく
彼は、彼女の抱いていた、劣等感という
心の多彩を知り、後悔に苛まれるが、それをすぐ御しながら
通り過ぎ、答えをだした、そしてそれを喜んだ
誇った
結論を見出せたことが、嬉しかったに違いない、喜ばしかったに違いない
香折はどうだろうか?
おそらく、彼女は
自らの出した答えに、満足を感じたのだろう
おそらく、生まれてはじめて、人生に満足を得たのだろう
どんなに絶望を繰り返しても
彼女は、人生から逃れることに執着しなかった
死のうと思うことはあっても、それに固執はしなかった
未来に希望をみていたからではない
絶望に立ち向かったからだ
全身を震わせながらも、恐怖の彼女は前に立った
そこに生きる意味を見出していた訳ではない
ただ死にながらも、墓場で絶望と共に永劫過ごすということこそが、最大の絶望だった
生きているうちに彼女はそこから逃れたかったはずである
彼女はそれを達成した
それが一つの満足だった
そしてもう一つ
自らの過去、絶望とは関与しないで生まれた
希望、橋田
彼女は毎日、毎晩、幼い頃から積み重なってきた絶望と共にすごし
そこから逃れることだけが人生だと考えていた
絶望をのぞけば、彼女には生きる意味すらきっとなかったのだろう
しかしおそらく彼女は、あの1年にして
彼女の持っていた絶望とは別のところで、
満足に至ることができたのである
自分が何かできたわけではないということはわかっている
ただ出会い、尽くされ、見守れ、与えられ続け
何もできないという事のほうが余程酷だ
しかし彼女はそれに耐え、全うした
そしてそれは満足であり
同時に、満足から次の扉は、閉ざされた
これまで幾度も忘れようと試みた、絶望が消えなかったように
そこから先に、これ以上の満足もあらわれないであろうということを知っていた
終わらせてもよいと思ったのだろう
そうして、結局のところ、橋田も、香折も
一瞬の光を、微かな喜びと共に、失ったように思えるのは、気のせいだろうか
 
 


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