そのとき、僕は何を求めているのか
私とはなにものであるか
なんのために私はここにいるのか
ということを知らないでは、とても生きて行くことはできない
しかも、自分はそれを知る事ができないのだ
したがって生きて行くことはできないのだ
-アンナ・カレーニナ
彼は、趣味はなんですか?と問われたら
感動することですと答えている
18歳のときに、この答えに辿りついた
最近では、わかりやすく
あたりさわりのない答えを返したりすることもある
映画、音楽、読書
7年前
まだ一方的なコミュニケーションに不自然な思いを感じなかった
あの頃、彼はいつだって自分勝手な答えを示していた
誰かが、いつか、きっとわかってくれるだろう
このいびつな、彼のだした答えに、ピッタリとあてはまる
穴の空いた人に、出会うかもしれない
もしくは、彼が疑いの眼差しで自らに空けてしまったこの穴に
当てはまる答えを持った人が現れるかもしれない
確かに、彼が通り過ぎた無数の可能性
その何れかに期待してもよかったかもしれない
いや、おそらくは、その中に幾らかはあったのだろう
幾らかの人々は、穴の空いた部分を、さらけだし
それぞれのサインで、答えを、カギを、きっと探していたに違いない
それでも我々のもつ色眼鏡は、いつだって各々に屈折している
目の前に、捜し求めている答えがあったとしても
弱さ、偶然、ひねくれた心、疑念、諸々の絡み合った思いが
受け止めることを許さない
出会った事を、認めない
彼はそんなだから、
現実と、書いているモノとの違いに
驚かれることが多い
書いている内容に至っては、混乱を極め
もはや目的も、答えも見当たらない有様で
おまけにいつだって絶望を漂わせている
現実では、へらへらと笑いながら
決して自ら率先して喋る方ではないが、
喋らないわけでもない
大抵常に、誰かを言葉で傷つけているか
傷つけないように努めているし
無理に気を使いすぎないよう努めているし
場をできるだけ、おもしろくしたいと、努めている
ときに、何か、難しいことを書いているだなんて言われることもあり
多少困惑するが、
彼の用意している答えは、こうだった
それは勿論、説明しようという意識がなければ難しい
僕が書いているのは思考の過程だから
答えがあれば難解とも言えるが、答えはないのだから難解ではなくて、ただの混沌だと思っている
確かに彼はそう思っていたが、
素直にそれを、人々の色眼鏡を通して
真っ直ぐ伝えることの難しさも承知していた
だからその答えは、言葉にしないことの方が多かった
その点において、
結局のところ、人の評価は、ありのままを判断してもらうしか方法はないと考えていた
そう考える事によって、他者に対して、よき自分であろうとする心から逃れていた
彼のスタンスは、実にシンプルだった
モノを書くのは思考の過程であって、
行為は、行動は、現実は
その結果でなければならない
そう考えていた
だから人々から指摘される差分について
彼からしてみれば何のことはない筋を通しているつもりだったが
当人にしかわかりえない過程を
自らの外にだそう、残そうとしてしまっているから
自らあけた穴を埋めようと試みているから
そんな視線を浴びることになり、言葉を受け止めることになるのだろう
つまり、彼はただ通り過ぎるべき
哀しみから、絶望から、弱さから
なんとか捻り出した
だからこそ笑うしかない、という
その答えだけを、用意する勇気がなかったのである
現実に実践したその答えだけでは不十分だった
それは弱さからのものだったが、彼の自己完成に至るまでの新たな試みでもあった
彼には昔
見返りを求めた自分を恥じたことがあった
数年にわたり、少なからず誰かの為になっているだろうと
思いながら、願いながら
毒を呑み、しかし精一杯楽しみながら、時を消化していった日々が
彼は、日々心に残る毒を思い
不安に怯えながらも、
その不安にまさる、喜びと目的があれば
現実から逃げられるということを
盲目に知りえて、実践していた
しかしある日、何事もなかったかのように
実にあっさりと、その日々は終わった
もう毒を呑む必要もなくなったが、そこにいる必要もなくなった
神もいなければ、帰るべき場所もいない彼にとって
何か絶対に折れない柱が必要だった
毒を呑んででも進まなければならない道は、柱になりえた
根本的には、なっていないのだが
忘れさせてくれたし
帰る場所のような気もしていた
それが必要なくなった
以来、実に弱くなった
何もかも弱くなった
何かに執着するという事も少なくなった
ただ少しでもこうあらねばならぬという自分の影を濃くし
そうあろうと努めるだけの日々がはじまった
その思考の過程を、ときに彼は記すようになり
そうやって残るものに対しては、混沌をも厭わなくなった
答えは、現実だけでいい
そう、答えは現実だけでいいと思うようになった
勘違いや現実との差分などという、思考のすれ違いに気をとられることはない
大事なことは常に自分の中にもとうとしている
もう見返りも求めないだろう
そうして
誰もが悩んでいるのだから
誰もがつらいのだからなどと諦めの口実をつくることもやめた
ただ思考と感情のすべてと、そこからでる答えまでを一つの道とし
道のりを表現し、目的地、結果、答えを受け止め
その因果関係の拙さに喜びをもって接しながら、人の曖昧に安心するのだった
- Posted by at : 2009.5.2 | Comments [0]
- Category: [Crypin Story]
for Trackback URL
このエントリーのトラックバックURL
Comments
コメントしちゃう?