めぐりあう時間たち
はじまりはスティーブン・ダルドリー
彼からだった
彼への思いからだった
朗読者を読み
愛を読む人の公開を心待ちにし
ケイト・ウィンスレットのオスカー獲得に至り
彼が、
ミンゲラに代わり監督をすると知ってから
6月の愛を読む人公開までに彼の作品を見ておいた方がよいだろうという心根
彼の作品
めぐりあう時間たちから
ニコール・キッドマンがオスカー獲得
そしてPhilip Glassの、音楽担当
もはや観るしか選択肢が残されていないという状況まで
この心が、追い詰められてから
ようやく手を伸ばし
辿りついた
観終わってから気付く
足りないピース
肝心要のひとコマ
ヴァージニア・ウルフ
僕の知識からすっぽり抜け落ちた存在だった
何故、ニコールキッドマンが特殊メイクで挑む必要があったのか
そんな些細なことに、心を捉われて仕方がない
浅はかだったと思うけれど
言うなれば
それだけだった
それ以外は、すべて心に、すんなりと入ってきた
この監督の意識の高さ
芸術性を損なうことのないよう
美しさを求めながら
神経を揺らさぬよう、できうる限り人工的な描写に頼らず
丹念に淡くつくりあげたと思わせてくれる
それは一方的な解釈のエゴかもしれないが
おそらく正しい
何故なら彼には、彼の為にもっとできることがあったはずだけれど
やらないことによって守られる芸術を彼は選んだから
劇中では決して語られることのない
人物達の心模様に、ついてこれる人はきっと多くはないだろう
何の説明もなく
一体、何が彼女たちをそうさせるのか、わからない
しかし、彼女は何か形容できない
彼女自身にも形容できない力によって
不幸をその身に背負っているのだろうと理解できてようやく
この作品に追いつける
そして辿りつくまでに充分なすべてを
彼女たちの演技と音楽によって
充分に描ききっている
ジュリアンムーアの切迫した表情と
決して語られはしない
彼女のその表情の向こう側を、例え想像できなくとも
わかってあげられるのならば、追いつける
ヴァージニアウルフ
彼女はおそらく外からは計り知れない所で
周りの人間が想像しているよりもギリギリの所で
その精神を繋ぎとめていたに違いない
まず感情があり
揺れ動くその喜びや哀しみを認識するのは容易いが
理解を求めることの難しさを彼女はよく知っていた
自身の虚ろな心に見合う理由を、彼女はいつも探していたのだろう
ときに見付からない場合には、行為によってあらわしていたのだろう
何故自身がこうも虚ろなのか
何もかも見えていて、理解を求められる不幸があるわけでもない
だからこそ彼女は救われなかった
誰にも、その虚ろを理解してもらうことができない
口に出せば口々に言われるであろう
自身が如何に幸福であるかと言う点と、
精神の是正を迫られることも彼女はきっと知っていた
その哀しみを、言葉に代えて、ダロウェイ夫人の世界へと歩を進めていったのだろう
現代のダロウェイ夫人、クラリッサ
彼女だけは普通の日常ではなかった
ドラマティックで、失意に至るには充分な一日であったはずだったが
彼女だけは、いくら絶望に支配されようとも
虚ろに
空虚な時間の流れに涙を流そうとも
生への希望を捨てることはなかった
どんな物語を前にしても、これは当然のことであるはずなのに
それが簡単ではないことを、ローラとヴァージニアウルフが充分に描いていたからこそ
彼女がかわらず明日を迎えることの偉大さが、映えるのだ
死んでいった者たちが、逃げていった者たちが
ただの弱者ではなく、苦しみぬいた者たちであったこと
死んでいるだけの生からの、解放を望んだ者たちであったということ
この点を揺るがさず
盲目的な肯定ではない
コントラストの対象を得た上で
生が映えるのだ
ニコールキッドマンよりジュリアンムーアに心をうたれた
- Posted by at : 2009.4.19 | Comments [0]
- Category: [Review]
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