トップページ > Crypin Story > モオツァルトの哀しみは疾走する
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人は言う、芸術家よ、自然を研究せよと
しかし、ありふれたものから気高いものを、
形を成さないものから美しいものを展開させることは、小さいことではない
-ゲーテ



気分転換に、無闇やたらと調べ物をしていた仕事中
僕の無謀な探し物
明日への希望
Google先生も、それだけは答えてくれましぇん
 
願いとは裏腹に、
希望の対岸とも言える
ある記事を目にする
小林秀雄について
僕は大好きだから当然、小林秀雄に価値を見出している
とは言っても、氏へと苦言を呈する者はどの時代でもいたし
この現代でもアンチ小林秀雄は、当然いますからね
それはそれでよい
しかし、中身がないとか、論理的じゃないとか
そんな評価をされる場合がある
一片のセリフを槍玉にあげて、そう言うんですよ
モオツァルトについて、研究に研究を重ねた
誰彼の名をあげて、比較し
小林秀雄の理論は薄っぺらい
偽者の結論だと言う、論理的ではないと言う
それがわからない
何故、小林秀雄に理論を求めるのか
根拠を求めるのかが、とても理解できない
その指摘の何処に論理がありますか
彼は研究者じゃないし
例えばモオツァルトを分解して、
その部品や工程を説明していくことに注力したわけじゃない
圧倒的な言葉の力で、彼の感じたすべてを伝えることが仕事だった
彼のその薄っぺらい理論が、
どう歴史に名を刻んだのか
それを承知しているはずなのに、何を言ってるんだろうか
彼に惹かれる現代人が全て、「騙されているのだ」とでも言いたいのだろうか
しかしその答えは充分、歴史が語っているし
歴史が語る以外に、答えはない
巨大な現実に対して
マイノリティであることを武器に
「君たちは騙されている」と声に出すことを誇りに思うあまり
現実への敬意と、歴史を再確認しない
騙されているのなら、何故誰もが騙されているのか考えない
巨大な力となった何物かは、当然その根拠がある
そしてその根拠に成り得るものは、論理だけに限らない
人は論理だけでは動かない、心動かされない
大事なのは、正確な理論だけではない
人を動かすというのは、
頭を動かすことなのか
心を動かすことなのか
氏がもし、理論によって頭を動かせてはいないとしても
歴史が語るように、確実に心を動かしているのだ
理論は学者に任せておけばいい
だから、そういう
寿司屋を捕まえて、お前のパンはまずいだなんて
言うような人
僕は嫌い
 
表現に理屈を求めるということは、
明らかな正しいモノがあるという事
それが学問によって開かれる真実なのか
直感が物言う現実なのか
果たして誰がそれはこちらだというんでしょうか
それを決めるっていうんでしょうか
何かを観て、触れて、聴いて
そして感じて、心動かされ、考え、糧にする
その糧から、成長からうまれた産物が
文章が、確かな熱をもって、人に伝わり伝染する
これで充分な価値とエネルギーがあると僕は思う
 
それが正しいか間違っているかだけで、
人を笑い、評価することこそ、間違っている
それが当たり前になっている空気も間違っている
あいつは間違っているのだから、笑っていいのだと
真実を背負ったような、正義を背負ったような気になって笑う
別に何も背負っちゃいないのに
論理は、理屈は余りにも明快すぎて
人は心にすんなり入ってくる
そうして人はすぐに縋ってしまう
論理という後ろ盾なしに、思うが侭の心根を語るほうがよっぽど難しいのに


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