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ナイロビの蜂

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悲しみと苦痛は
やがて『人のために尽くす心』という
美しい花を咲かせる土壌だと考えましょう。
心を優しく持ち、耐え抜くことを学びましょう。
強い心で生きるために。
-ヘレンケラー



ナイロビの蜂という映画を観た
ドキュメントタッチであって、声なき声を感じる
ハンディカムで、日常を撮っているような構成がもたらす産物は、リアリティ
現実に限りなく近いのだと、いや、もはや
現実か、現実ではないかという、事実を置き去りにして尚
これが現実であっても僕たちは何も知り得ないという事実を突きつけ
うすら寒い、恐ろしい気分にさせてくれたものだ
僕たちが知らぬ間に捨てている、一つの選択を教えられた気分だ
僕は、植物を食べれば、動物も食べる
しかし、食物にしているモノ達の死や飢えからは目を背け
食べやすいように、解体された豚や牛
知らずのうちに食べ物とされているアフリカの地と人々の現実からも意図的に目を背けている
その事実を知りながらも、僕は
「捕食者としての感謝する」などというエゴには、仲間入りしたくないという意識がある
何かできるならばしたいが、それは自分の手で行いたい
感謝をあらわすのならば、自らの手で豚や牛をさばき、砂漠に水を運び、感謝をあらわしたい
でもそんな勇気はない
この強大な現実に対して行える行為を否定はしないが
ささやかな行為である事もまた、否定できない
何より、もっと、できる事があるのに
自身の生活を保った上で行える施しなどは与えたくないという気持ちが、ずっと心に残っている
しかし、実際に自分の手で、何か行動を起こすエネルギーも、気力もない
だから僕は、自らの手で、現実に立ち向かっていったテッサに、心動かされたのかもしれない
 
自らの中に、厳しく、誠実への道を示す友人を持ち
時には甘えながらも、誠実への道のりを見つけた時、
自らの手を動かし、犠牲を省みず、細い糸となってしまった生を繋いでいく
痛みのない、施し
自覚のない、感謝
涙のない、哀れみ
自分のことばーっかり
それでも、行為のないエゴイストにはなりたくないな


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