こちらを見ている
こちらを見て、歌っているこの女性
何度見ても、僕の為に歌ってくれているような気がする
そんな思い違いが、何故
今、自分にこうも響くのか、明確な答えは見つからない
幻だと知っているが、本能に訪れる安心
キャバクラのようなモノだろうか
って、私、キャバクラなんて行った事ないんですけどーーー!!!
ヨホホホホホホホ
今、僕が陥っている病の名は自由か、孤独
どちらかだろう
欲しいものは、自由と相反する安心である
僕は、自身の世代を語れるほど、一般的な考えと、物腰で生きてきたわけではないから
何処までいっても、いつまでたっても、自分の視点でしか話すことはできない
それでも一つ思うのは、僕の人生に於いて
自身の成長と、情報の成長
そして共に広がる視野や選択は、あまりにも広大であった
時代に、ついていけているようで、全力で走ってもおいていかれているような気分になる。
尽きない興味に応じて、手に入る、とても処理しきれない情報量
その興味を満足に至らせる、インターネットという情報の海
僕は、自分の成長を、この世界で過ごしながら
大人への道を歩いてきた
人生は、選択の連続だ
決して与えられるだけではない
興味という勲章を片手に手に入れる情報
そのインプットが
可能性、選択肢を広げ
視野を広げ、価値観を広げ
実感のない、事実だけが、歴史だけが、つまり情報が、頭に入り込み続け
実質という、本来、人間的に必要であるだろう、何かを見失う
大人になることによって
勝ち得たと思っていた、自由
安売りされていると、飛びついた若者たちは、
マニュアルでしか前へ進むことの出来ない者達だった
自由のマニュアルは、何処にもない
だから、とりあえず、歩いてみる
とりあえず歩いてはいるから、進んでいるような気になってはいるが
それが何処へ進んでいるのか、分かっていないのだ
歩くことによって、疲れはたまるし、靴はすり減る
しかし彼らは、こう思っている
行為は無限である
永遠と歩き続けられるし、進んではいるのだから、結果が出るはずだ。と
しかしそれは大きな、間違いだ
道が間違っていたと気付いた時にはもう遅いかもしれないし、
万が一、間違っていたからと元の地点へ、戻れたとしても、気付くだろう
もう歩けない、靴もない
覚悟もなく、道具のように、扱えると盲信し
人は、自由を持て余す
だから、少し考えてみる
今、自身が抱えている自由が、思考が、孤独が、
大人になった故のモノ等なのか
それとも、この海に、溺れているだけなのか
どちらだろうか
例え進むべき道が間違っていても、今、笑えていて
精神の充足に満ちた日々を送っているのなら
そうでありたい
しかし僕は、それを許せない人間に育ってしまった
終着点が見えないまま、考え続けなければならない、それこそ
辿り着いた時にはもう、何もないような状態になってそうで、おそろしい
手にしたと思っていた自由がみせる孤独
目の前の出来事に頭を悩ませているだけの日々を前にして
宇宙を見た男は、宇宙の広さに、何を見るか
「宇宙の前では、今、頭を悩ませている問題など、塵に等しい?」
「宇宙の広さが、今、頭を悩ませている問題を、無限に内包している?」
つまり、自分を見るのだ
僕は、安心を探しながら苦しみ続け、無限に続く、目の前の些事を見た。
何度聴いても、何故か
あの曲だけ、あれだけが、心に直接、触れてくる感覚を持っている
不思議だ
表情を強張らせて、無表情に、
周り全てを警戒しながら、何処か安心できる場所を探している
そんな時、「そうじゃなくても大丈夫だよ」と言う声が、聴こえたとしたら
飛び付きたい
反面
「無理だよ、今更変われないよ」
そう意志が拒む
「でも私は笑っているし、楽しんでいるでしょ、だから大丈夫だよ」
- Posted by at : 2009.1.10 | Comments [0]
- Category: [Crypin Story]
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