Daydreamer
プロ意識ってものについて考える
プロの概念ってのは、色々あるんだろうな
精通した技術に誇りを持っているとか、
それでお金をもらっているとか、まあ色々
自分はプロじゃないから、そう機械的にプロか否かの社会的な線引きはどうでもいい
ただ、「ああ、こういう奴らがプロっていうんだな」と思わせてくれる人たちを知る機会は稀にあって
僕が抱くプロフェッショナルというイメージは、例外なく尊敬に結びつく
まあ幾ら「暇」か「しね」しか言わない僕とは言え、
そんな世界中のプロフェッショナルを探して、日夜情報をかき集めたりしてるわけではないから
何かの拍子でそういう人たちを知り、とても好きになる。
そんな風にプロ意識ってものについて考えながら、紐解いていくと、
ストイックな姿勢であったり、実行力であったり、方法論であったり
努力であったり
枝分かれしすぎて、もはや何を考えていたのかすら分からないくらい、自分で収拾がつかなくなる
これはいつもの事だから、今更どうこうってわけではないし
そんな事が言いたいんじゃない
僕が漠然と抱く、プロフェッショナルっていうのは
かっこいいし、美しい、だから憧れる
そういう生き方だったのか、と気付いた
強く、憧れている
でも僕は、何もかも続かなかったし続けようとも思えなかった
子供の時から、水泳でも、ピアノでも、手を出す物事は決して多いほうではないけど
何も続いてはこなかった
そして、それが普通だと思っている
ピアノは続けていたらよかったなと今でも思うけど。
そうやって、過ごしながら、いわゆるレールの上を歩きながら、二十歳を越えていく
高校に行くとか、大学に行くとか、就職するとか
何を勉強したいからどの大学を目指すとか目指さないとか
何をやりたいからどこへ就職したい、する、とか
そうやって選択したつもりになってる。
それでいいじゃない。って思うよ
学校へ行っても、就職しても、パート生活でも
何でもいいけど、やっている分には時間を使うし、時間に追われていくだろうな
一日10時間近く何かで拘束されれば、それが楽しかろうかつまらなかろうが、
大抵それで自分は何かをやってると思うだろうね
残りの時間は自由に遊んで、週末はゆっくり友達とでも遊んで
毎日が楽しく過ぎていく、それこそが安定ってもんだろう
でも、目的ある人間が、「私は将来ノーベル賞をとります」なんて言いながら、
そこで時間を費やしている事が、前に進んでいると思ったらお仕舞いだなと思うね
話を戻せば、プロフェッショナルになりたいと願っている人間が
そんな安定で、安心しているようじゃ駄目だろうと思う
だってそうだろう、学校で勉強でも、就職して仕事でも
それが本当に目的に向かっているなんて事はそう多くない
ただの阿呆
周りに、自分は目的に向かって進んでいる
やるだけの事はやってるとか言いながら
仕事終わって24観てるようじゃ話にならない
いつだって目的には近づけるのに、いつ達成されてもおかしくないのに、できる事は一生かけてもやり切れないって、分かってるはずなのに
がむしゃらに、全てを捨てて、目的へ向かう事がかっこいいと言ってるわけじゃない
言うならやれ、やれないなら言うな
こうしようと思うなんて事をころころ変えてたって、何も変わらない
やらなきゃ駄目でもない、やれるのにやらない
ちっぽけな現状で達成感を感じている
そうはなりたくない、それはかっこ悪いことだ
そういう思いが、自分を追い詰める。
一日30分
短い時間だけど、毎日欠かさず
早く時間が経てばいいのにと、一人で黙々と、練習し続けた
一つの曲が弾けるようになるまで、数ヶ月かかって当たり前
センスがあるねと褒められても、明らかに才能が違う人間を目の当たりにして
明らかに自分以上の練習をこなす事ができる人間を目の当たりにして
人の心を動かすというのは、なんて難しい事なんだろう
何かを成し遂げるというのは、なんて難しいんだろうと、考えるようになった
今でも、その思いは変わっていない。
小さな事に、喜びを感じて
わずかなもので人を幸せにできて
普通に働いて、過ごし
死の間際、一生を堪能したと言えるなら
僕もみやこスタイルで生きてるよ、誰だってそーする
そうしたい所だけど、凡才に似合わない頭を持ってしまってるからな
事あるごとに、自分が如何に凡人か思い知らされる、けど
少しでもプロフェッショナルの近くにいたい
とか言いながら、LOTO6今日も買っちゃったしね
デイドリーマー
語るも夢、行いも夢
頭の中お花畑
- Posted by at : 2008.12.9 | Comments [0]
- Category: [Crypin Story]
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